ガラスの目をしたネコの就活

いったい、どれだけのお祈りをされただろう?これだけ祈られたならぼくは神にでもなれるんじゃないのか?

愚痴

「お祈りメール」という言葉をご存知でしょうか?

社会に出ている方は知っていることも多いかと思う。 企業の選考を受けた結果、不採用の連絡がされる場合、

「今後のご健闘をお祈り申しあげます。」

という文面で締めくくられるのだ。メールの文章の短さや事務的な冷たさ、いろいろツッコミどころはあるが、1つだけ言わせてほしい。

絶対、思ってないよね?!

そんなものが欲しいんじゃない、欲しいのは何が駄目だったのか、なぜ採用しなかったのかを知りたいんだ。 もちろんそんな労力を採用しない人間に割けないという意見もわかる。ただ、どれだけ志望度が高かろうと低かろうと、これだけで、就活生のメンタルは削られていく。

中には、面接後やメールでフィードバックをくれた人事の方もいらっしゃった。優しい言葉も厳しい言葉もあったが、それを受け止めるだけの心は持っている。

心の器が足りないときは、溢れた感情を誰かが拾ってくれる。 その誰かは自分にとってはBUMP OF CHICKENがあてはまることが多い。

BUMPでも足りないときは

今、より強くあの日のことを思い出す。

大声だったり、小声だったり、時には心の中で歌ってくれたかもしれない。その歌声は、未来のお前自身に向かっていくんだと思うよ。未来は何があるか分からないし、10年後、20年後に、すごくつらくて、しんどいときが来るかもしれないけど、そういうときの力になれるように。(aurora ark Final2日目 アンコール後のMC より)

ひたすらに叫び、歌ったあの日は、まさか2年後にこんなことが襲ってくるだなんて夢にも思わなかった。「今日歌った歌声を思い出せなくなったとしても」と言われて、そんなことはないと思った。

でも、思い出せても力になれないときが来ると知った。

こんなことは初めてだ。高校の部活で壁にぶち当たったときも、壁を打ち壊そうと、その手伝いをしてくれた。

壁にぶち当たったことはわかっても、それを壊す術を知らない。壁が見えない。どこまで壁が続いているかわからない。

深夜にストロングゼロを2缶空け、aurora ark Live DVDを見て、親に注意されるほど歌っても、壁を越えられるわけじゃない。壁を避けられるわけじゃない。

Twitterに愚痴を吐いても、友達と就活の話をしても、今ここで徒然なるままに文字を綴っても。

――誰かに力を求めても、誰かが助けてくれるわけではない。

人は一人で勝手に助かるだけ (『化物語』より)

「声が枯れたなら川に行こう」――川が見当たらなかったら...?

「星を思い浮かべたならすぐ銀河の中だ」――星を思い浮かべられなくなったら...?

そのときは、きっと一人で勝手に助かるのを待つしかない。

ただ、待っているだけでは現状は良くならない。動くしかない。考えるしかない。そうしてまた気が滅入る。

でも、

でも、

どうせいつか終わる旅をぼくと一緒に歌おう(『HAPPY』より)

と歌ってくれた。

夜を凌げば太陽は昇るよ そうしたら必ずまた夜になるけど(『望遠のマーチ』より)

夜になったら、必ずまた太陽は昇る

だからせめて続けたい 続ける意味さえわからない(『真っ赤な空を見ただろうか』より)

意味なんてわからなくても、

立って歩け。前へ進め。あんたには立派な足が付いてるじゃないか。(『鋼の錬金術師』より)

これまで、ぼくは本と音楽に力をもらって乗り越えてきた。 それはこれからも、良くも悪くも変えられないかもしれない。

自分が誰かの言葉で助かったように、いつか自分の言葉で勝手に助かるときが来るかもしれない。

いつか自分の言葉で誰かが助かるときが来るかもしれない。

そのときのために、今の気持ちをここに置いておく。